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東京地方裁判所 昭和48年(ワ)10227号 判決 1976年8月30日

原告 恒次史朗

被告 稲荷神社

主文

一  被告は原告に対し金二五〇万円及びこれに対する昭和四八年四月一日以降完済に至るまで年五分の割合による金員の支払いをせよ。

二  原告のその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用はこれを五分しその四を被告の負担とし、その余を原告の負担とする。

四  この判決は原告勝訴の部分にかぎり確定前に執行することができる。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は原告に対し金三五〇万円及びこれに対する昭和四八年四月一日以降完済に至るまで年五分の割合による金員の支払いをせよ。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  仮執行の宣言。

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告の請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

第二当事者の主張

一  請求の原因

1  原告は東京弁護士会所属の弁護士であるが、訴外正治ビル有限会社(以下これを「正治ビル」という)が被告に対し昭和四四年六月一三日訴えを提起した右当事者間の東京地方裁判所昭和四四年(ワ)第六四六八号所有権移転登記等請求事件(以下これを本件受任事件又は本件委任事件という。)について、被告より昭和四四年六月頃訴訟委任を受け、これを受任した。

2  本件受任事件の訴えの要旨は、「正治ビルと被告との間において昭和四三年一二月二三日被告は原告に対し被告所有の土地三筆(合計三七三・二〇平方メートル、以下これを本件土地という。)を被告の監督団体である神社本庁の承認を得たうえ代金一億四六七七万円で売渡す旨の売買契約の予約を締結したところ、被告は昭和四四年一月二〇日付で神社本庁の承認を受けたので、正治ビルは被告に対し右売買契約の本契約を締結する旨の意思表示を求めるとともにさらに金一億四六七七万円の支払いと引換えに本件土地につき売買を原因とする所有権移転登記手続を求める。」というものであつた。

3  原告は昭和四四年八月一六日本件受任事件の第一回口頭弁論期日に被告の訴訟代理人として出頭して正治ビルの請求を棄却すべき旨答弁し、以後昭和四七年一二月八日第一九回口頭弁論期日まで毎回出頭して被告のため主張立証活動を行つたものであつて、本件受任事件は原・被告の本人尋問の証拠調を終了し、口頭弁論終結の寸前の状態にまで進行した。

4  ところが、被告は原告に無断で本件受任事件の第二〇回口頭弁論期日の前日である昭和四七年一二月二一日正治ビルとの間で裁判外の和解をしたうえ、正治ビルの訴取下に同意をしたため、本件受任事件は訴の取下により終了した。

5  そこで、原告は所属弁護士会である東京弁護士会会規第三号弁護士報酬規定(以下これを「弁護士報酬規定」という)第五条の「依頼者が受任者の責によらない事由で解任し、あるいは無断で取下、抛棄、認諾、和解等をなし事件を終了せしめ又は委任事務の遂行を不能ならしめたときは成功と看做し謝金の全額を請求することができる。」旨の規定を適用して本件受任事件を成功と看做し、被告に対し成功報酬請求権を取得した。

6  ところで、原・被告間には成功報酬額の取決めがなかつたので、本件受任事件の目的の価額一億四六七七万円を基礎として「弁護士報酬規定」の第九条三により算定した最低額(目的の価額の百分の五)金七三三万八五〇〇円を基準として諸般の事情を考慮すれば、金三五〇万円を成功報酬額とするのが相当である。

7  原告は本件受任事件について昭和四七年一二月二二日裁判所より訴訟取下証明書の交付を受け、被告に手交し訴訟終了の成功報酬として金三五〇万円の支払いを口頭で請求した。

8  よつて原告は被告に対し右報酬金三五〇万円及びこれに対する履行期の経過後である昭和四八年四月一日以降完済に至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める。

二  請求の原因に対する認否

1  請求の原因1ないし4の各事実は認める。

2  同5は争う。

3  同6は争う。

もしかりに原告に成功報酬請求権が発生していたとしても次の事情を斟酌すればその額は金五〇万円が相当である。

(1)  本件委任事件はいわゆる被告事件であり且つ正治ビルが訴えの提起の当初から金一億四六七七万円との引換給付を求めているものであるから「弁護士報酬規定」第九条を適用するとしても同条の「目的の価額又は現に受ける利益」を金一億四六七七万円とすることは妥当でない。すなわち、本件委任事件において被告がたとえ敗訴したとしても、被告は反対給付として正治ビルから右金員の支払いを受けることができるものであるから、被告が勝訴することによつて受ける利益が右金額であるということはできないのである。

(2)  本件委任事件の発端は「売渡確約書」なる書面にあるが、右書面は昭和四三年一二月二三日頃正治ビルが被告に対し詐言を以つて交付を求めたものである。その際被告は原告を立会わせ原告に対し契約の交渉過程である現時点においてかかる「売渡確認書」を作成することは後日紛争の種をつくることになるか否かを尋ねたところ、原告は右書面が売買予約の存在を誤認させるような書面であることを看過して何ら紛争を生じさせるものでない旨回答したのであるから、本件委任事件の紛争の原因の一つは原告の行為にある。

(3)  原告は昭和四四年六月頃被告に対し本件委任事件が原告の不手際から発生したのだから原告の責任で解決したい旨述べて原告に訴訟委任を要請したので被告はこれに応じたのである。

(4)  原告は永年被告の訴訟を担当し本件土地売却をめぐる他の紛争に関与してその都度多額の報酬を被告から受領しており、本件委任事件は一連の紛争から派生したものにすぎない。

(5)  被告は訴訟委任する際原告に対し金五〇万円を着手金名目のもとに既に支払つている。

(6)  原告は昭和四四年六月頃本件委任事件の訴訟委任を被告に要請した際、成功報酬として金五〇万円欲しい旨言及したが、被告の氏子総代らに前述の原告の不手際をなじられ反駁されている。

(7)  被告の氏子総代らの間において、原告の行為はとかく悪評を生ずる事情があり原告に対する不信感が強く、原告の力量において本件委任事件を和解で解決することは不可能であつた。本件委任事件は被告及び被告の氏子総代らの努力によつて解決したものである。

4  請求の原因7の事実のうち、成功報酬金として金三五〇万の支払いを口頭で請求された点は認めるがその余は不知。

5  同8は争う。

三  抗弁

1  無償委任契約であることの特段の事情

(1)  原告は本件委任事件の紛争の発端をなした前記「売渡確認書」なる書面の作成過程において右書面が売買予約の存在を誤認させるような書面であることを看過すという原告の不手際の代償として本件委任事件の処理にあたつていたものである。

(2)  原・被告間において、本件委任事件は被告が原告に既に依頼していた本件土地売却をめぐる一連の紛争から派生したものと認識されていたものであつて、被告は一連の紛争解決のために原告に対し多額の報酬を支払つている。

2  訴訟取下について原告の責めに帰すべき事由

(1)  被告は正治ビルによる本件委任事件の提訴が何ら理由なく不当のものであつたから、昭和四八年八月頃本件土地を第三者に売却したところ、正治ビルの代表者は本件委任事件の訴訟の目的を失い、これがため神社本庁に押しかけ狂気のようになつて被告を誹謗するに至り、被告としても神社本庁の職員の勧告もあり被告の体面上早急に正治ビルと和解し本件委任事件を終了させる必要があつた。

(2)  ところが、本件委任事件の被告の代理人である原告は被告の氏子総代らの信頼を失い、本件委任事件の円満解決のための事実上の適格性をなくしていたものである。  3 相殺

(1)  被告は昭和四三年一二月二三日原告に対し「売渡確約書」なる書面を作成するにあたり、被告が右書面を交付しても正治ビルに対して何らの債務をも負担しない文面とすべき事務を委任した。

(2)  ところが原告は「売渡確約書」の文面が売買予約の存在を誤認させるようなものであることを看過し、委任契約上の善良なる管理者の注意義務に違反した。

(3)  被告は原告の右債務不履行により正治ビルに対し和解金として金五〇〇万円を支払い、同額の損害を被つた。

(4)  被告は昭和四九年二月一八日の本件口頭弁論期日において被告の右損害賠償債権をもつて原告の本訴債権とその対当額において相殺する旨の意思表示をした。

四  抗弁に対する認否

1  抗弁1の(1) 事実は否認する。同(2) の事実のうち本件受任事件が一連の紛争から派生したものと認識されていたとの点は否認しその余は認める。

2  抗弁2の(1) の事実のうち本件受任事件の提訴が何ら理由なく不当のものであつた点は認めるがその余は不知。

同(2) の事実は否認する。

3  抗弁3の(1) 及び(2) の各事実は否認する。同(3) の事実は不知。

第三証拠<省略>

理由

一  被告は昭和四四年六月一三日付で正治ビルから提起された東京地方裁判所昭和四四年(ワ)第六四六八号所有権移転登記等請求事件(本件委任事件)の応訴につき東京弁護士会所属の弁護士である原告に対し同年六月頃訴訟委任をしたこと、本件受任事件の訴えの要旨は請求の原因2のとおりであること、原告は昭和四四年八月一六日同事件の第一回口頭弁論期日に出頭して正治ビルの請求を棄却すべき旨答弁し全面的に争つて以後昭和四七年一二月八日第一九回口頭弁論期日まで毎回出頭し訴訟活動をしたこと、本件受任事件は原被告の本人尋問の証拠調を終了し口頭弁論終結の寸前まで進行していたこと、被告は、本件委任事件の第二〇回口頭弁論期日の前日である昭和四七年一二月二一日正治ビルとの間で裁判外の和解をして訴訟取下に同意し受任事件は取下により終了したこと、右和解及び訴訟取下については被告は原告に無断であつたこと及び原告は昭和四七年一二月二二日被告に対し成功報酬として金三五〇万円の支払いを口頭で請求したことは、いずれも当事者間に争いがない。

二  原告は、被告に対し本件委任事件の成功報酬債権を有すると主張し、その根拠として、原告の所属する東京弁護士会の制定した弁護士報酬規定の条文を援用する。

なるほど、成立に争いのない甲第二号証によれば、東京弁護士会会規第三号弁護士報酬規定の第五条には「依頼者が受任者の責によらない事由で解任し、あるいは無断で取下、認諾、和解等をなし事件を終了せしめ又は委任事務の遂行を不能ならしめたときは成功と看做し謝金の全額を請求することができる。」との規定が存し、また、同規定の第三条には、謝金は依頼の目的を達したときに支払いを受けるものとする旨が規定されていることを認めることができる。しかし、同号証によつても、右規定が当然に東京弁護士会所属の弁護士に対する依頼者を拘束するものと認めることはできず、原告は、本件委任事件につき原被告間に右規定に従う旨の合意が成立した事実について、主張も立証もしない。したがつて、右の規定が本件委任事件に当然適用されることを前提とする原告の前記主張は理由がない。

しかし、弁護士に対する訴訟委任契約は原則として有償契約と解すべきであり、また、訴訟委任の対価として弁護士に支払われる報酬には、訴訟事務の処理に対する報酬たる性質を有する手数料(着手金)のほかに、委任事件を依頼人に有利に解決した場合に支払われるべき成功報酬(謝金)も当然に含まれるものと解すべきであつて、右の理は、委任者が訴訟の原告である場合と被告である場合とにおいて差異がないものというべきである。そして、委任事件が委任者たる弁護士に無断で取下等により終了した場合には、報酬のうち右の成功報酬に当たる部分については民法一三〇条が適用されるものと解すべきであるから、被告の和解と正治ビルの訴の取下に対する同意とをもつて「成功とみなす」との原告の主張は、右民法一三〇条の適用の主張を含むものと解することができる。

ところで、前記一の争いのない事実によれば、被告は本件委任事件に勝訴すれば原告に対し成功報酬を支払う債務を負うに至るべきところ、原告に無断で本件委任事件の原告である正治ビルとの間に裁判外の和解契約をしたうえ、正治ビルの訴の取下に同意して本件委任事件を勝訴に至らず終結させたのであるから、被告はかかる訴訟の終結により原告に対する成功報酬の支払いを免れることを認識しながら、敢えて原告に無断で右和解契約等をしたものということができる。したがつて、原告は民法一三〇条により本件委任事件が勝訴したものとみなし、被告に対し成功報酬を請求しうるものというべきである。

三  被告は、本件訴訟委任契約においては原告に成功報酬債権を生じさせない特段の事由があると主張し、その一として、本件委任事件は正治ビルが被告に交付を求めた「売渡確認書」の記載内容についての原告の誤つた鑑定に端を発したものであると主張する。しかし、証人有馬康男の証言中右の主張に副う部分は、いずれも成立に争いのない甲第三号証の一、二、第九、第一〇号証、乙第五号証の一、二、第六号証の一、二、第二二ないし第二四号証、第二七号証の一、二、第三〇ないし第三二号証の各一、二の各記載に比して措信し難く、かえつて、これらの証拠によれば、前記売渡確約書及びその添付書面の記載内容は被告が神社庁の許可を受け、かつ正治ビルから手附金三〇〇〇万円の支払いを受けたときに被告所有の三筆の土地を正治ビルに代金一億四六七七万円で売渡すことを約したものであつて、当時の被告と正治ビルとの間の合意の内容を正確に記載したものであるにもかかわらず、正治ビルは右手附金を全く支払わずに予約を完結したと主張して本件委任事件を提起したものであつて、その主張は前記売渡確約書の記載内容を曲解した、言いがかりともいうべきものであることが認められる。したがつて、右売渡確約書の作成に際し被告から意見を求められた原告が、その記載内容が正当である旨を答えたとしても、その回答に誤りがあつたと認めることはできない。

次に、被告は前記特段の事情のその二として、本件委任事件は同じく原告に訴訟委任をした関連事件から派生した事件であり、他の関連事件につきる多額の報酬が原告に支払われている旨を主張する。しかし、関連事件であることを理由としてそのうちの一件につき報酬を支払わないためには、その旨の合意を要するものといわなければならないところ、かかる合意の成立について、被告は主張、立証をしないから、右の主張もまた理由がない。

四  被告は、正治ビルとの間に早急に和解をする必要があつたと主張するが、その必要があつたとしても、原告に無断で和解をしたことを正当化する事由ということはできない。

また、被告は、原告が被告の氏子総代らの信頼を失つたと主張するが、原告に訴訟委任の信頼関係を破壊するような言動があつたならば、被告はこれを理由に本件訴訟委任を解除すべきであり、また原告に対する訴訟委任が不適当であるときは、被告は原告と合意のうえ訴訟委任を解約することを図るべきであつて、これらの措置を講ずることなく、事後に至り信頼関係の喪失等をいうことは許されないものといわなければならない。

五  以上判断したとおり、本件委任事件につき原告に対し成功報酬の支払義務を免れないとする被告の主張はすべて理由がない。

そこで、本件委任事件に関する成功報酬額につき検討する。

本件委任事件につきあらかじめ成功報酬金額につき合意が成立した事実は、原告の自認するところである。原告は、右報酬額は東京弁護士会の弁護士報酬規定による算定額を基準として定めるべきである旨主張するが、右規定が被告を拘束するものでないことは、成功報酬債権の発生の根拠につき既述したところと同じである。

かように、弁護士に対する成功報酬の額につき依頼者との間に別段の合意が存しない場合には、勝訴により依頼者の受ける利益、事件の難易、労力の程度、手数料(着手金)の額、依頼者との関係、所属弁護士会の報酬規定その他諸般の事情を勘案して当事者の意思を推定し、もつて相当報酬額を算定すべきであるところ、被告代表者本人尋問の結果によれば、被告は本件委任事件の目的物件たる土地の占有者らに立退料を支払い、これを更地にして第三者に売却した結果、立退料を差引いて約一億七〇〇〇万円の収入を得たこと、被告は原告に対し従来右の土地に関する他の紛争の解決を依頼し、その報酬として合計約一七〇〇万円を支払つたこと及び被告は原告に対し本件委任事件の手数料(着手金)として金五〇万円を支払つたことを認めることができ、これらの事実に前叙判示の諸事実及び前掲各証拠に顕れた諸般の事情を併せ考えるときは、本件委任事件につき被告が原告に支払うべき成功報酬金額は金二五〇万円が相当である。

六  被告は、原告に対する損害賠償債権をもつて原告の成功報酬債権と相殺する旨主張するところ、その主張する自働債権は、原告の前記売渡確約書の鑑定の誤りに因る損害賠償債権であるというのであるが、右売渡確約書の記載内容には被告と正治ビルとの間の合意の内容と異なる点が存しないことは前記認定のとおりであるから、原告が右売渡確約書に不備な点がない旨の鑑定をしたとしても、それが誤りであるということはできない。

したがつて、被告の相殺の抗弁は理由がない。

七  以上判断したところによれば、原告の請求は被告に対し金二五〇万円及びこれに対する履行期後である昭和四八年四月一日以降完済まで民法所定の年五分の利率による遅延損害金の支払いを求める限度において理由があるから、これを認容すべきであるが、その余の部分は理由がないから、棄却を免れない。

よつて、訴訟費用の負担につき民訴法八九条、九二条、仮執行の宣言につき同法一九六条を各適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 大和勇美)

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